航空・鉄道事故調査委員会委員が情報漏洩

こっそり教えちゃ、まずいでしょう。

乗客106人が死亡したJR福知山線脱線事故の調査にあたった国土交通省航空・鉄道事故調査委員会(当時)の山口浩一元委員(71歳)が、2007年6月に最終報告書が公表される前、調査対象者だったJR西日本山崎正夫社長*1(当時)に報告書案を漏らしていたことが25日わかった。
事故調を引き継いだ運輸安全委員会が会見して明らかにした。
山口元委員はさらに山崎前社長から、「ATS(自動列車停止装置)があれば事故が防げた」などとする文言を報告書案から削除するよう求められ、他の委員に対し要求に沿った発言をしたが、意見は反映されず、報告書への内容に影響はなかったという。
運輸安全委によると、山口元委員は山崎前社長の国鉄時代の先輩で、2006年5月、山崎前社長から接触が始まった。山崎前社長は、山口元委員から調査状況を聞き、2007年春以降、作成途中だった調査報告書案を1〜2回手渡された。報告書公表後、山口元委員は夕食の接待を受けたという。
山崎前社長は事故現場が急カーブに付け替えられた1996年、安全対策の責任者としてATS設置などを講じる立場にあり、漏えい当時、最終報告書が、JR西日本や山崎前社長の過失についてどのように指摘するかが焦点となっていた。
山口元委員は国鉄などを経て、2001年10月に事故調の委員(非常勤)になり、2007年9月、任期満了で退任した。同委員会の設置法は「委員は職務上知ることのできた秘密を漏らしてはならない」と定めており、山口元委員の行為は、秘密保持義務違反にあたる。
運輸安全委の後藤昇弘委員長は記者会見し、「不信の念を与え申し訳なく思う」と述べた。前原国交相も会見で「あってはならないことで言語道断」と陳謝した。
事故調査を巡っては、2005年9月、「事故車両がブレーキをかけないまま、制限速度が時速70キロの現場右カーブに、同110キロ以上で進入したことが直接原因」とする中間報告を国土交通相に提出。2007年6月、事故の背景について「運転士に懲罰的な日勤教育や懲戒処分を科すJR西日本の厳しい管理体制があった」と、企業体質にまで踏み込んで厳しく批判する異例の最終報告書を公表した。
(2009年9月25日=Yomiuri On Line)

<2009年9月27日追記>
もっとまずいようです。

JR西日本の鈴木喜也東京本部副本部長(55歳)が、当時の国土交通省航空・鉄道事故調査委員会(現運輸安全委員会)の鉄道部会長だった佐藤泰生・元委員(70歳)と約10回にわたって接触していたことが分かった。JR西日本が26日夜、東京都千代田区の同社東京本部で取材に応じ、明らかにした。
鈴木副本部長は現在、執行役員で東京常駐社員のトップ。事故当時は技術部の幹部社員だった。会見で鈴木副本部長は「社内調査組織の『審議室』から接触するよう指示を受けた」と説明しており、JR西日本が組織ぐるみで事故調査委から報告書に関する情報を聞き出そうとしていた疑いが強まった。
鈴木副本部長の説明によると、佐藤元委員は国鉄時代の先輩に当たり、30年近い付き合い。2006年8月ごろ、事故後に発足した「列車事故対策審議室」の会議の場で佐藤元委員を名指しした上で、「聞いてみてくれないか」と指示があったことを明らかにした。審議室は幹部ら約10人で構成され、室長は現在の土屋隆一郎副社長(59歳)が務めていた。だが、指示をした幹部の個人名については「勘弁して欲しい」と説明を拒んだ。
結局、報告書が公表される2007年6月まで東京・新宿の中華料理屋で、佐藤元委員と、国鉄時代の共通の知人男性との3人で約10回にわたって面会。事故調査のスケジュールや議論の内容を尋ねたり、事故の背景として指摘されている日勤教育について意見交換したりしたという。
鈴木副本部長は「調査の具体的内容までは教えていただけなかった」としているが、公表前に佐藤元委員から調査委の資料を受け取ったことはあるという。食事代は全額、鈴木副本部長側が負担した。
調査委の報告書を巡っては、JR西日本山崎正夫前社長(66歳)が山口浩一元委員(71歳)から調査状況を聞いたり、報告書案を受け取ったりしていたことがすでに明らかになっている。鈴木副本部長が佐藤元委員と接触していたのも、同じ時期だった。
鈴木副本部長は「山崎前社長のケースは知らなかった」と説明。また、別のJR西日本幹部も山崎前社長と山口元委員との間の情報漏洩については、審議室の関与を否定。「あくまで個人的な接触だ」と断言した。
運輸安全委は、山口元委員の情報漏洩を把握した後、調査を担当した委員全員に、JR西日本側との接触に関する一斉調査を行っており、佐藤元委員からJR西日本側への情報漏洩はなかったとみている。
(2009年9月27日=asahi.com

<2009年9月29日追記>
三者委員会を作るようです。

福知山線列車事故に関する航空・鉄道事故調査委員会による調査の過程でのコンプライアンス上の重大な問題発生に鑑み、二度とこのような行為を起こさないよう企業風土を抜本的に変革するため、社外有識者からなるコンプライアンス特別委員会(仮称)を設置し、事実関係の調査を行うとともに、再発防止に向けた提言を得ることとしました。
高巖麗澤大学教授*2を委員長とし、若干名の委員から構成します。
(2009年9月29日=JR西日本

<2009年10月2日追記>
構成が決まり、委員会が発足したそうです。

<2009年10月15日追記>
こんな方にも手を出していたようです。「何でもあり」といった感があります。

JR西日本は15日、国土交通省航空・鉄道事故調査委員会(現運輸安全委員会)が2007年2月に開いた意見聴取会*5の公述人に応募した国鉄OB2人に現金10万円をそれぞれ渡していたことを明らかにした。
JR西日本はこの2人を含む4人に応募を働き掛けたが、OB2人は落選した。現金を渡したのは落選後で、JR西日本は「資料作成の謝礼」と説明している。
公述人に選ばれた残る2人のうち永瀬和彦金沢工大教授(当時)に、JR西日本が事故に関する一部資料を聴取会に提出しないよう要請、断られていたことも分かった。
事故調委員への接触も含め、事故調委の報告書が不利な内容にならないよう、JR西日本がさまざまなルートで働き掛けていたことが浮き彫りになった。
公述人は陳述したい意見に関する書面や資料を添付して応募し、事故調委側が選定。みなし公務員ではなく、JR西日本は「法的に問題なかった」としている。2007年2月の意見聴取会では13人が意見を述べ、JR西日本からは丸尾和明副社長(当時)が公述人に選ばれた。
JR西日本によると、公述人応募を働き掛けた4人は永瀬氏、井口雅一東大名誉教授と、国鉄OB2人。山崎正夫前社長と丸尾氏が4人をリストアップし、井口氏に対しては山崎氏が依頼した。
永瀬、井口両氏はJR西日本側の依頼にかかわらず「自らの意思で応募」(JR西日本)して公述人に選ばれたが、国鉄OB2人は落選。JR西日本は落選した2人に聴取会後、現金を渡した。永瀬、井口両氏に対する金品の授受はなかったとしている。
国鉄OBの1人は15日、「公述人に申し込んだのはJR西日本で、10万円の謝礼はコンサルタント料として受け取った」と話した。
永瀬氏によると、JR西日本事故対策審議室幹部が聴取会の前「(事故現場の)運転曲線に関する資料は出さないでほしい」と要請。永瀬氏はこれを拒否し「公述がJR西日本の意向に沿って変更されたことは絶対ない。金銭の供与や接待は受けていない」と話している。
JR西日本は「事故調委に働き掛けたわけではなく、法的には問題なかったと考えるが、事故の遺族らに不信の念を与えることになってしまい大変申し訳ない」としている。
(2009年10月15日=CHUNICHI Web)

<2009年10月23日追記>

JR福知山線脱線事故の報告書漏洩問題で、JR西日本は23日、報告書を公表前に不正に入手するなどした前社長の山崎正夫取締役と、情報収集を指示していた土屋隆一郎副社長が同日付で引責辞任し、嘱託(特命事項)に充てる人事を発表した。同時に国土交通省前原誠司国交相に対し一連の漏洩問題について経過と処分などを報告した。
山崎氏は7月に業務上過失致死傷罪で神戸地検に在宅起訴され、「会社の円滑な運営のために身を引く」と社長を辞任したが、被害者対応などを担当する取締役にとどまっていた。
一方、土屋氏は2006年6月から、国交省航空・鉄道事故調査委員会(現・運輸安全委員会)との交渉や連絡窓口となる福知山線列車事故対策審議室長を務めるとともに遺族らへの対応なども担当してきたが、8月に代表権を持つ副社長に就任していた。
山崎前社長は、脱線事故の調査にあたっていた国交省航空・鉄道事故調査委員会(現・運輸安全委員会)の報告書を公表前に不正に入手、土屋副社長は社内で航空・鉄道事故調査委員会の委員に接触して情報収集を指示していることが発覚して遺族らの不信感が募っており、「今後も遺族対応や事故対応の窓口を続けることは困難」(同社)と判断された。
(2009年10月23日=MSN産経)

<2009年10月29日追記>
ちょっと気の毒な気がします。

JR西日本は28日、国土交通省航空・鉄道事故調査委員会(現・運輸安全委員会)の委員に飲食接待を繰り返していたとして、鈴木喜也・東京本部副本部長を同日付で解任し、新設の鉄道本部技術部(地球環境)担当に異動させる更迭人事を発表した。
真鍋精志副社長は「職を解くということで事実上の処分だ。関係者の全体的な処分は(社内調査の)最終報告書が出た時に対応する」とした。
JR西日本によると、鈴木氏は2006年9月〜2007年12月、土屋隆一郎副社長(辞任)の指示で、国鉄時代の上司だった元委員と都内の中華料理店などで10回程度、会食していた。
(2009年10月29日=Yomiuri On Line)

<2009年11月18日追記>

JR西日本佐々木隆之社長*6(63歳)は18日、福知山線脱線事故をめぐり、調査報告書の漏洩を働きかけるなどした一連の問題を検証する第三者機関「コンプライアンス特別委員会」の最終報告書を前原誠司国土交通相に提出した。最終報告書は漏洩問題の原因を「組織防衛優先の企業風土」にあったと指摘した。
佐々木社長はこの日、丸尾和明元副社長(58歳)ら漏洩の働きかけや資料の未提出など一連の問題にかかわった35人を最大で報酬返上3カ月(50%)などとする社内処分を発表した。漏洩問題に中心的に関与した山崎正夫前社長(66歳)と土屋隆一郎前副社長(59歳)は、10月23日付で取締役を引責辞任していることから対象から外した。
最終報告書は、一連の問題の再発防止のためとして、同社の経営体質について検討。同社の役員や社員から聞き取り調査をした結果として、1992年に社長に就任し、会長や相談役を歴任した井手正敬元会長*7(74歳)について言及した。「強力なリーダーシップで、経費削減につとめた」などと民営化後の経営を軌道に乗せたことを評価する一方、「独善的で『上にもの申さぬ文化』をつくり、技術軽視も進んだ」「他人の意見に耳を傾けず、人事権を握り、独裁的経営に経営陣は沈黙した」と厳しく批判した。
さらに、会長就任の1997年以降も「院政」が敷かれ、「上に対してもの申さぬ文化、現場を知ろうとしない経営体質が作られた」とし、これを「経営上の最大の失敗」と指摘。「新経営陣には、これら経営上の問題を直視する決意を持ってもらいたい」と提言した。
また、国土交通省航空・鉄道事故調査委員会(現・運輸安全委員会)の旧国鉄OBの元委員に対し、山崎前社長らが調査情報の漏洩を働きかけたことについても検討。情報の事前入手は、委員の中立性に疑問を抱かせ、最終調査報告書の信頼性に影響を及ぼしたと非難した。山崎前社長ら経営トップが先頭に立ち、組織ぐるみの情報収集を行った原因として、「被害者らの目よりも組織防衛が優先する企業風土があった。JR西日本側が調査主体であるかのような意識の者もおり、旧国鉄時代の国会対策の経緯からも事前の情報入手を求めがちだった」と結論づけた。
コンプライアンス特別委は、漏洩問題が発覚した直後の10月、前原国交相の改善報告命令を受けて発足。委員長は高巌・麗沢大経済学部教授で、委員は佐伯照道弁護士と鳥越健治・関西大教授。歴代幹部や現職役員ら68人と面談するなどして調査してきた。一方、運輸安全委も最終調査報告書の信頼性の検証をスタートさせ、12月上旬に遺族、負傷者らと識者の計12人でつくる検証チームの初会合が開かれる。
(2009年11月18日=asahi.com

*1:1943年5月26日生。1966年、東京大学工学部航空学科卒業。同年4月、日本国有鉄道入社。

*2:麗澤大学経済学部長。元麗澤大学企業倫理研究センター長。早稲田大学博士課程商学研究科経営経済専攻修了。商学博士。

*3:主な取扱い分野は、一般民事及び商事、企業再生・清算(会社更生・民事再生・特別清算・破産)、労働事件、民暴事件、行政(租税)事件だそうです。

*4:民法担当。担当科目は、「民法演習3」、「民事法総合演習」、「民事実務特殊講義」、「民事裁判の基礎」、「事実認定論」、「法曹倫理」 。元広島高等裁判所長官。大阪ガス株式会社監査役

*5:国土交通省航空・鉄道事故調査委員会(現運輸安全委員会)は、事故調査の報告書をまとめる前に、必要に応じ学識経験者や当該の企業関係者から意見を聞く「意見聴取会」を開催する。見解を述べる「公述人」は、公募に応じて事前に申し込んだ人から委員会が選ぶほか、委員会が必要と判断した人に出席を要請する。

*6:1970年、一橋大学経済学部卒。同年4月、日本国有鉄道入社。

*7:1959年、東京大学経済学部卒。同年4月、日本国有鉄道入社。