上越新幹線脱線最終報告書

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2004年の新潟県中越地震で起きた上越新幹線脱線事故で、国土交通省航空・鉄道事故調査委員会は30日、最終報告書を公表した。直下型地震の場合、現行システムで脱線を完全に防ぐことは困難とし、鉄道全体の問題として防止装置の開発などに取り組むよう提言している。
事故は2004年10月23日に新潟県長岡市浦佐長岡駅間で発生。「とき325号」(200系10両編成)の4、5両目を除く8両が脱線した。死傷者はなかったが、新幹線の脱線は1964年の開業以来初めて*1だった。
報告書によると、早期地震検知警報システム「ユレダス」は正常に作動し、初期微動(P波)から3秒後に変電所の送電が止まり、4.5秒後には非常ブレーキが作動したが、大きな揺れ(S波)もほぼ同時に到達。車両はブレーキ作動から約1.7km走行して停止したが、激しい横揺れの繰り返しで車輪がレールから外れる「ロッキング脱線」を起こした。
被害が拡大しなかったことについて、ギヤケースなど車両下部に取り付けた部品と車輪との間にレールが挟まり、脱線車両の大部分がそれ以上逸脱しなかったことなどを挙げた。破損したレールを通過し大きく逸脱した最後尾車両は、上下線間にある融雪排水溝に車輪が落下したことで、車両が傾くだけにとどまり、転覆を免れたとした。
JR東日本国交省鉄道局が事故後に設置した「新幹線脱線対策協議会」の検討結果などを受け、車両の台車に脱線後の大きな逸脱を防ぐ「L型車両ガイド」を取り付けたり、レールの継ぎ目部分を改良するなどの対策を進めている。
(2007年11月30日=MSN産経)

*1:正確には、「営業列車として」です。1973年2月21日に東海道新幹線鳥飼車両基地から新大阪駅へ向かう回送列車が、停止信号を過走、脱線し、本線を支障する事故が起きています。これ以外にも、1997年5月6日に岡山運転所構内で入換え中の編成が車止めを突破、脱線し、市道にはみ出した事故があったはず。というわけでちゃんと調べましょう。→産経新聞