松平康隆氏

バレーボールの日本男子監督として1972年ミュンヘン五輪で金メダルを獲得した日本バレーボール協会名誉顧問の松平康隆さんが、昨年12月31日、肺気腫のため東京都の病院で死去したことが5日、わかった。81歳だった。葬儀は近親者で営まれた。後日、お別れの会を開く予定。
1930(昭和5)年、東京都生まれ。慶大から日本鋼管へ進み、9人制のバックセンターとして活躍した。引退後は卓越した指導力とアイデアで、時間差攻撃やフライングレシーブなど、当時は「奇策」と言われた日本独自の技を次々に編み出した。ミュンヘン五輪ではセッターの猫田勝敏や、アタッカーの大古誠司森田淳悟ら大型選手を鍛え上げ、日本の男子団体球技としては初の快挙を成し遂げた。
1979年に日本バレー協会専務理事、1989年から会長。国際大会を次々と日本に誘致し、国内リーグのプロ化を検討するなどバレー人気の拡大に手腕を発揮した。国際バレーボール連盟副会長、日本オリンピック委員会JOC)副会長なども歴任した。
(2012年1月5日=ASAHI SHINBUN DIGITAL)