福知山線脱線事故調査報告書(経過報告)

独自の取材も混ぜたYomiuri On Lineが良くまとめていると思います。それにしても、安全推進部長と鉄道本部長の口述はアレだなぁ。

  • 当日の運転状況…カーブ手前500m 車掌・指令 続く交信
    • 前日午後から深夜までの勤務を終えて森ノ宮電車区放出派出所に宿泊した運転士は、6時台に車庫から列車を回送し、松井山手駅で折り返して7時35分に発車。京橋までに1分余り遅れた。
    • 東西線に入っても45〜50秒の遅れが続いた。加島駅手前のカーブにさしかかった時、ATS-Pが「そのままでは制限の65km/hを超える」と警報音を発し、常用最大ブレーキを作動。運転士は警報音に反応してブレーキをかけ、制限速度でカーブに入った。
    • 尼崎からは回送列車になり、定刻の8時31分頃、出発した。宝塚に近づき、前方の信号を赤と知らせるATS-SWの警報に対応して確認ボタンを押した。ところが信号が黄に変わると急加速し、制限40km/hの分岐器を65km/hで通過。その手前でATS-SWの警報が鳴ったのに今度は対応しなかったため、5秒後に非常ブレーキが作動してホーム手前で止まった。ATSで非常停止した時は、輸送指令に報告してから運行再開するのが規則だが、報告しなかった。
    • 折り返しのため、運転士と車掌は乗車位置を交代する。車掌は「自分が運転室へ行くと、運転士がまだ中にいたため330ほど待った」という。カギを抜き、ATSの電源を切り替えるといった運転士の作業は平均60秒で、列車の反対側までは徒歩で約2分20秒。運転士は2分近く、余分に運転室にとどまった計算になる。車掌によると、顔を合わせた際、非常制動で止まったことを持ち出し、「Pで止まったん?」と尋ねた(この区間はATS-SWなのを車掌が勘違い)。だが運転士は、「ムスッとしたような表情」で何も言わずに立ち去った。このころ福知山線内で列車無線機の試験電波が出た。同線で運転中の他の運転士は誰も操作していなかった。試験電波のボタンを押しながら列車無線の電源を入れると、車掌が指令と交わす交信が聞こえる。
    • 列車は同志社前行きの快速になり、宝塚駅を15秒遅れで出発した。遅れは川西池田駅の出発で35秒になり、北伊丹駅を通過後、最大122km/hで走行した。伊丹駅の約600m手前には、「停車です、停車です」と女性の声で呼びかける「停車ボイス機能」があるが、そのまま走行した。さらに進むと「停車、停車」という男性の声と警報音で「停車警報」がある。運転士はB7、B8の常用ブレーキをかけ、停止位置を約44m過ぎたあたりで車掌が非常ブレーキをかけたものの、72mオーバーランした。記録装置を調べると、運転士は常用ブレーキと同時に、左側ドアの上にある直通予備ブレーキを操作していた。
    • 後退したため伊丹駅は1分20秒遅れで出発した。その直後、運転士は車掌に車内電話をかけ、「まけてくれへんか」という趣旨の話をしたという。車掌は、オーバーランの距離をごまかしてほしいという意味に受け止め、「だいぶと行ってるよ」と答えた。その時、客の一人が車掌室のガラスをノックし、車掌は電話を切った。客は「なんで、おわびの放送をせえへんのか」などと詰め寄った。塚口駅の手前まで加速を続け、124〜125km/hになり、最高制限の120km/hを超えた。速度計の誤差のせいで、運転席には121〜122km/hと表示されていたとみられる。この時点で加速をやめ、ほぼ同時にB1を2秒間かけた。惰行で走り、塚口駅を1分12秒遅れで通過。出発信号機の地点で122km/h出ていた。事故現場の右カーブに制限速度の70km/hで入るには、出発信号機から約250m先の地点でブレーキをかけ始める必要があった。ブレーキ目標からカーブ入り口まで約500m、約15秒。その間、ミスをめぐる無線のやりとりが続き、運転席にも聞こえていた。列車は減速しないままカーブに時速116km/hで進入した。20mほど進んで運転士はブレーキをB5まで入れ、一瞬おいてB7に上げた。しかし105km/hまでしか減速せず、最大のB8に上げた時には、遠心力で左に車体が傾き、2両目のパンタグラフが41号電柱に接触した。9時18分54秒。列車は脱線し、マンションに激突していった。
  • 運転士アンケート…「120km/h未満なら曲がれる」
    • 「自分の列車の遅れがどの程度の時に最も精神的負担になるか」を尋ねると、今回の事故時に相当する「1分以上3分未満」が31人で最も多く、「1分未満」は12人、「3分以上」は9人だった。その理由として「遅れが3分以上になると回復運転をあきらめる」という運転士が多かった。
    • 列車無線に気を取られて速度超過したり、ブレーキの使用が遅れたりした経験は、17人が「ある」、29人は「ない」と答えた。
    • 「現場カーブで列車が転覆する速度を何km/hと認識していたか」を問うと、「120km/h未満なら大丈夫」と思っていた運転士が半数を占めた。
  • 手袋と携帯電話…手袋外し遅延時間メモ?
    • 運転士の右手からは手袋が脱げており、運転室内から見つかった。手袋を脱ぐ場合について他の運転士に調査すると、目をこする、頭をかく、かばんから物を取る、メモをするなどの回答があった。
    • 運転士に貸与されている業務用携帯電話は、業務用鞄の中にあり、別に私用の携帯電話がズボンの左ポケットに入っていた。運転士は前日、私用の携帯でメールを42回送信していたが、当日は電話の発信もメール送信もなかった。ただ、尼崎駅停車中の8時30分、宝塚駅停車中の8時57分の2回、私用の携帯宛にメール送信があった。勤務中は私用の携帯の電源を切るよう、JR西日本は指導している。
  • ハード面について…速度計2〜3km/h低く表示
    • 速度計は、車軸の回転数から計算するため、車輪がすり減ると誤差が大きくなる。事故列車の1両目と同じ型の速度計は、120km/h程度の時で実際より2〜3km/h低く表示される。これは国の技術基準に適合しない。
  • JR西日本について…進まぬ安全策 甘い認識
    • JR西日本では、「ATS-SW」を在来線に整備。乗客や列車本数の多い京阪神で、「ATS-P」への切り替えを始めた。路線全線にATS-Pを導入すると費用がかさみ、工期も長くなるため、原則、駅周辺など一部をATS-Pに切り替えてATS-SWを併用する拠点P方式を進めている。福知山線も、拠点P方式に切り替えられ、事故現場のカーブ(半径約300m)にATS-Pの地上子が設置される予定だったが、工事が遅れた。事故当時、現場にはATS-SWを含めて地上子はなく、速度超過を防ぐ対策が取られていなかった。
  • 運転士について…健康良好 技量は平均的
    • 2000年4月1日、入社。同20日〜長尾駅運輸管理係。2001年9月19日〜天王寺車掌区車掌。2004年5月144日、甲種電気車運転免許取得。同18日〜京橋電車区運転士。
    • 尿からは、飲酒に起因するアルコール、薬物は検出されなかった。
    • 2000年〜2005年までの定期健康診断、医学適性検査の記録には特段の異常は見られない。2002年2月に脳波検査を受けているが、異常はない。睡眠時無呼吸症候群の診断のためのチェックシートを2005年2月に提出しているが、その内容に異常は見られない。運転適性検査を2003年4月に受けているが、その結果に異常は見られない。
    • 甲種電気車運転免許取得のための修了試験では、JR西日本研修センターでの学科試験(11科目計1100点満点)で、受験者83人中、平均993点を少し上回る1056点。技能試験(12項目計1200点満点)でも、合格者65人の平均1118点とほぼ同じ1120点。
    • 運転技量審査では、受験者27人の平均560点とほぼ同じ566点。
    • 乗務実績は、運転距離42,320km。
    • 勤務評価では、京橋電車区長が2004年度下期に行った総合評価点は、同電車区運転士の平均が7.3点のところ、10点。総合所見欄には「基本動作は大きな声を出して、しっかりとできている」という記載があった。
    • 過去のミス
      1. 2002年5月、車掌として乗務していた快速電車が停車駅を通過。日勤教育4日間、訓告処分。
      2. 2003年8月、指導車掌として乗務中、居眠り。日勤教育1日間、厳重注意処分。
      3. 2004年6月、片町線放出駅で停止位置を4m行き過ぎ。
      4. 2004年6月、同線下狛駅で停止位置を100m行き過ぎ。日勤教育13日間、訓告処分。
      5. 2004年7月、東海道線灘駅で停止位置を15m行き過ぎ。
      6. 2004年10月、大阪環状線野田駅でATS作動、停止位置の手前30mで停止。
  • JR西日本幹部の口述
    • 「(事故電車の)運転士を知っていたわけではないが、京橋電車区長に尋ねたところ、「期待していたいい子なんです」と言っていた。同区長は、社員の心をちゃんとつかんで引っ張っていく、乗務員区長のなかでトップクラスの区長。その区長がそう言っていたので、「なぜ」という思いがある」(大阪支社長(当時))
    • ATS-Pの整備は、安全推進部の担当。停止信号冒進防止機能や踏切遮断時間短縮機能がATS-Pにあることは知っていたが、曲線速度照査機能があることは知らなかった。曲線で速度超過すれば脱線することがあり得ることは理解しているが、それを具体的な危険要素とは認識していなかった。曲線照査機能の整備は、念のためという感じだった」(安全推進部長(当時))
    • 「鉄道主任技術者であり、安全推進部に指導・助言することがあるが、安全管理に係る実務面の責任者は安全推進部長である。ATS-Pの曲線速照機能は知っていたが、速度超過して転覆するような事故は、経験とか一切なかったので、考えたことがなかった。過去に起きた曲線での速度超過による列車脱線事故は知らなかった」(鉄道本部長(当時))

(2006年12月20日=Yomiuri On Line)